追悼 土橋敏孝前理事長
- やどかりの里

- 2025年2月15日
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更新日:2月21日

地域とつながり,社会福祉の向上を目指して
増田 一世(やどかりの里理事長)
やどかりの里の前理事長の土橋敏孝さんが,2024 年7月ごろから体調を崩され,一時期回復されたのですが,残念ながら2024年11月22日に逝去されました.
土橋さんは谷中輝雄さん(やどかりの里元理事長)と同じ,明治学院大学社会学部社会福祉学科の重田信一先生のゼミに所属し,これからは施設ケアではなく地域福祉だと埼玉県社会福祉協議会に勤務されました.
地域で精神障害のある人を支える法制度のない中,常に存続の危機を抱えていたやどかりの里を創設期から理事として支えてきました.
2001年に谷中輝雄さんから理事長を引き継ぎ,2020年まで理事長を務めました.
新潟在住でしたが,理事会はもちろん,毎年開催していたバザーにも必ず参加し,地域の皆さんとの交流も大事にされました.
そして何よりもやどかりの里のことを大事に思い,現場を尊重し,現場の私たちが何を思い,どう行動しようとしているのかをまず聴いてくださり,ご自分の意見を話してくださるのです.
最近では時折体調が不安定になることもあったのですが,やどかりの里の理事は続けたいと
言ってくださって,COVID-19の感染拡大時はオンラインで理事会に参加していただき,献身的に真摯にやどかりの里を支えてくださっていました.
これからも地域とのつながりを大切にし,土橋さんの遺志を引き継ぎ,メンバーや家族,職員・役員とともに地域の皆さんに必要とされるやどかりの里であり続けるために努力していきたいと思っています.
市町村社協の発展の礎を築いた
石山 英雄(埼玉県社会福祉協議会 参事)
土橋さんは,1963(昭和38)年4月に県社協に入職され,1997(平成9)年3月に次長で退職されましたので,延べ34年間在職されました.
私が入職したのが1989(平成元)年でしたので,関わりは終盤の8年間になります.
土橋さんと私との接点はあまりありませんでしたが,その存在の大きさは,主に市町村社協の職員から聞くことが多かったものです.
市町村社協が法制化されたのが1983(昭和58)年ですので,当時(昭和の終わり頃)半数以上の市町村社協は市役所の一角に事務所を構える小さな任意団体でした.
土橋さんは昼夜を問わず市町村社協を訪ね,市町村社協の方々と,住民の組織化やボランティア活動,福祉教育の進め方など,社協の役割や夢などを熱く語り合ったということでした.
現在,市町村社協は法人格を有し,規模も拡大し地域福祉の一角を担うようになっています.
その礎を築いていただいたのが土橋さんであり,その功績を後世に繋いでいきたいと思っています.
謹んでご冥福をお祈り申し上げます.
はなむけの言葉
平川 毅彦(新潟青陵大学)
大学を退職される際,当時学科長であった平川が用意した原稿に手を加えたものです(学科名は当時のもの).あらためて土橋先生への「はなむけの言葉」とさせていただきます.
土橋先生は,福祉心理学科の創設期から,ずっと学科運営に携わられてきました.先生の御尽力あればこそ,今日の学科の姿があると言っても過言ではありません.
ここでは平川が土橋先生から教えていただいた「学科長のありかた三点」を皆様に披露することで,「はなむけの言葉」に代えたいと思います.
その1:多様な意見に耳を傾けること
土橋先生は常に学科教員の研究室を訪ね歩き,多様な文化的背景を持つ福祉心理学科教員の意見の取りまとめをされてきました.
その2:「一呼吸おいてから」行動すること
土橋先生から学科長を引き継いだ直後に,「すぐに対応しなければならない事案」が
発生しました.そこでの土橋先生からのアドバイスが,この「一呼吸おいてから」というものでした.
その3:「ダンディ」であること
本学ホームページの「教員紹介」での顔写真と,実際にお会いした時の印象が大きく異なることは皆様もよくご存じだと思います.
土橋先生は違います.
新明解国語辞典によれば「ダンディ」とは「男性が服装や身のこなしが洗練されていて,人との対応の仕方などにそつの無いこと」とあります.土橋先生は「ダンディ」そのものです.
服装や身のこなしだけでなく,多様な意見に耳を傾け,一呼吸おいてから行動されてきた土橋先生.常に「ダンディ」な土橋先生であってください.
ありがとうございました.
自慢の理事長に感謝
宇治 彩子(新潟しなの福祉会理事)
社会福祉法人新潟しなの福祉会は,新潟市で初めての精神障害者生活支援センターと通所授産施設の開設(2004年10月)を目的に設立されました.
法人設立にあたり,まずは核となるべき理事長(当初は準備委員長)にと,新潟青陵大学に赴任されてきた土橋敏孝教授にお願いしたのでした.
やどかりの里の理事でもあり,その豊富な経験と見識から,後に起こる困難や様々な出来事に対処し,乗り越えることが出来たのだと,その存在の大きさを改めて感じています.
いつも共に考え冷静に判断し,共に行動(自ら足を運んで)してくださいました.
それが,どんなに心強かったことか…….後半は,長野にお住まいがある中で,当法人のために新潟にも住まいを構え,お力添えいただきました.
準備委員長(2001年~)・初代理事長(2003年~2020年)としての約19年,精神障がい者の「あたりまえの生活」の実現とその生活を支えるための活動を展開していく拠点づくりに,ご尽力いただきました.
常に紳士である理事長の存在は,私たち新潟しなの福祉会の自慢でもありました.
そして,そんな理事長とお仕事を共に出来たことを光栄に感じております.これまでいただいた御恩とご縁に感謝し,心からご冥福をお祈りいたします.
ありがとうございました.
世代を繋いでくれた恩人
柳 義子(やどかりの里理事)
やどかりの里は創立 30 周年を契機に,変化する社会に対応できるように,連帯と協働,民主的な運営を視野に,世代交代に舵を切っていった.
実践活動のみならず理事会の在り方も1年間の検討機関を設置し,2002年創立者の谷中輝雄さんから当時副理事長であった土橋さんへとバトンタッチされた.
創立時の,理想に燃えた猪突猛進型の職員が多い中,土橋さんは常に傍らに立ち,根気よく寄り添い,外側から支援をして下さる方であった.
温厚で,信頼感のある紳士という印象はこの50年,私の変わらぬ土橋さん像である.
理事長に就任しても間もなくのエンジュ移転に際しては,住民説明会の度に新潟から駆けつけてくれたと当時の施設長は感謝している.
理事会での印象も常に報告に耳を傾け,それから的確な質問を繰り出すという姿であった.
50周年記念誌『もう一つの価値に出会う』に寄稿された「人間の尊厳」という文章は,まさに土橋さんの人生そのものを彷彿させてくれるように思う.
激動の中,世代をしっかり繋いでくださったこと,感謝いたします.
土橋さんからの学びは大きな財産
坂本智代枝(やどかりの里理事/大正大学)
土橋敏孝さんと初めてお会いしたのは,私がやどかりの里に入職してすぐのことである(1990年).
当時の理事長の谷中さんから,「あなたのやりたい,住民が主体となった地域精神保健活動のヒントを教えてくれる人だから」と紹介され,当時埼玉県社会福祉協議会の事務局次長をされているところに押しかけた.
そこから,「心のネットワーク委員会」1)の委員長をお引き受けいただいた.そして,「精神保健ボランティア講座」開催のための地域の組織化や住民の主体化形成のノウハウを教えていただいた.
今,振り返るとライブ・スーパービジョンを受けていたのだと思う.
私にとって土橋さんから学んだことは大きな,且つ貴重な財産であった.土橋さんからの節目の重要なアドバイスは身に染みるメッセージであった.
うまくいかない時でも,伴走していただき,見守っていただいた眼差しが今でも思い出される.
本当にありがとうございました.
1)坂本智代枝:ネットワークの広がりと生活支援センター,
『共に担った「危険な賭け」』;やどかり出版,1995



