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2020(R2) TOPICS 

  • 執筆者の写真: 宗野 文
    宗野 文
  • 2021年3月31日
  • 読了時間: 3分

更新日:2月21日


活動方針

 歴史を学び 未来に生かす地域の中で支え・支え合う活動を





所報やどかり「はじめに」より

やどかりの里は50周年を迎えた.これまで節目となる時期に,記念誌を出版してきた.この50年を改めて辿ってみたい.


1970年8月,旧大宮市の七里に,「中間宿舎」を開設,「やどかりの里」が出発した.


1973年,社団法人認可にあたり,精神科病院協会はじめ近隣の精神病院長に協力依頼に回った谷中輝雄氏は,「おそらく長く続くまい」と言われた.


どこからもお金は出てこないよ,と.財政危機に直面したやどかりの里は,1975年,「5年間の経過を世に問い,生きた証を作っておこう」と,精神衛生実践セミナーを開催.『「精神障害者」の社会復帰への実践−「やどかりの里」の試み−』(1986)をまとめた.


このセミナーで,谷中氏が「現在のままだと,今後持ち堪えられるのは2年ぐらいではないか」と発言.


存続の危機に,メンバーはやどかりの里の灯を消すまいと,バザーや請願行動に取り組んだ.


また,「自分たちの声も取り上げる機会が必要ではないか」と,第2回実践セミナーを開催し,『やむこころからの提言』(1978)を刊行した.


「ごくあたりまえの生活を求めて」活動することの意味を確認しつつも,財政的緊迫に加え,活動の見通しも持てず,第2の危機を迎えた.


『流れゆく苦悩』(1984)は,哲学者早川進氏とワークショップを開き,活動を振り返りつつ,その意味をまとめたものだ.


『春はまだ来ないけど やどかりの里歩み20年』(1996)は,10周年記念植樹の様子や15周年祝賀会などの写真とともに20年の歩みがぎっしりと詰まっている.


1987年,精神保健法が成立.やどかりの里は援護寮と授産施設の複合施設の建設を決め,1坪運動を開始した.


20周年記念式典は,竣工したばかりの建物(現在のサポートステーションやどかり)で行われた.


『危険な賭け 新しい創造へ 精神保健法にもとづく施設づくり』(1991)は,施設化への危惧や逡巡も率直に語られ,地域生活支援体制のビジョンが描かれている.


以降,生活支援センターや作業所など次々に地域に展開した.


一方で急激に組織が大きくなり,さまざまなところに軋みが生じた.


『職員主導からともに創り合うやどかりの里への転換 生活支援活動と福祉工場の胎動』(2000)に,メンバーと協働し「共生の街づくり」に向けた一歩を記した.


30年の節目にあたり,1999年・2000年にメンバーと職員の状態調査を行った.


2つの調査結果に基づき話し合いを重ね,5つの課題を導いた.この過程は,1人の卓越したリーダーに依拠する組織運営から集団で議論し方針を決めていく組織への転換と,世代交代の具体化でもあった.


40周年記念出版『変わる 変える 創る これからの地域実践・運動・組織』(2010)では,精神障害領域から視野を広げ,さいたま市での重層なネットワークの構築に

参画していく取り組みや,障害者自立支援法を部分にした活動展開をまとめた.


世界の潮流は,障害を自己責任に帰す日本とは真逆に動いていた.


2006年,国連で障害者権利条約が採択された.


『障害者権利条約とやどかりの里』(2015)では,障害者権利条約を実践に引き付けて考えることを試みた.やどかりの里の活動を普遍化させていこうという意識があった.


そして,50年の節目.活動から見えてきたエッセンスをやどかりの里のことに限定されず,1人でも多くの人に届けようと,これまでとは異なる本作りに挑戦している.


これに先駆け,『響き合う街で』93号で,やどかりの里50年を全面特集した.


活動の理念形成や地域実践が描かれ,メンバー,家族,職員が未来を語り合った.まさに「たどり着いたところがスタート台」だ.


ところで,所報「やどかり」は,1975年から発行されてきた.活動や書き手が変わっても,1年1年実践を確かめ,これからの糧にしていく姿勢は,きっと継がれていくのだろう.


(所報編集委員会)

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