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写真と言葉10

福本敦浩-29.jpg
福本淳浩

 

好みが似ている。なぜか親しみを感じる人だった。この人話やすく、おもしろいと、どんどん踏み込んでいけそうだった。
 

広島出身じゃけい!

「紙屋町とか八丁堀で遊んでいましたか?」

「18歳のとき、大学で上京しちゃったから」から。という会話でインタビューが始まった。
 

いきなりの一人暮らしではなく、数軒の親戚の家を渡り歩いていたが、さすがに叔母さんは新婚宅で気まずいと思い、滝野川の1万8千円のアパートに暮らし始めた。風呂なし共同トイレ、裏に銭湯とコインランドリー有りという完璧な条件だ。

「1万円あったら、1ヶ月間暮らせると思っていました」と二人で大笑いした。
絵に描いたような貧乏学生だったようだ。

 

池袋の蕎麦屋さんで一緒に働いていた先輩が、亀有で自分の店を出したから手伝わないかと誘われ、そこで働くようになった。
 

乗り換えの秋葉原駅。京浜東北線と総武線の階段ですれ違う人ゴミの中に、ある女性とすれ違った。

「岸野さん!」

「あっちゃん!」


小走りのサラリーマンたちも、スローモーションのよう。無音の中で、東京ラブストーリーのメロディが聞こえてきたという。小学校の時に、「あっちゃんのことが好き!」と言われたことを、何十年も覚えていたそうだ。
 

その岸野さんと十数年ぶりに秋葉原駅でばったり出会った。

いろいろ期待するあっちゃんだったが、「私、結婚します」という手紙で、すべてが夢から覚めた。
 

母から「広島に帰って来れんか!」と連絡があり、実家に戻ることにした。

なぜか母と一緒に、見知らぬ女性が一緒に暮らしていた。その女性と数年後に結婚することになり、広島でお好み焼き屋をやっても、ライバルが多すぎるから、埼玉でやろうということになり、店舗付き物件の自宅を東大宮で探し、おたふくソースの東京支店でお好み焼き講習を受け、店をオープンさせた。
 

経緯だけでも面白く、行き当たりばったりの人生に興味がそそる。
 

しかし店舗から自宅の2階に上がった休憩時間、バタン!と倒れ、高次脳障害になった。そのことも一つの原因だったのか、妻や子どもたちとも別れ、やどかりの里と出会うことになる。
 

そこで働く姿こそ、ずっと食品関係の仕事してきた凛々しい姿に見えた。

ここで撮影しましょう!

なじみ深い厨房の傍でシャッターを切ることにした。

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