写真と言 葉08

高橋晶一
グループホームの中で出会い立ち話。
言葉の端々から、『夕張』や『コタン』や『阿寒湖』などの言葉が出てくる。
少し聞き取りにくいところがあったが、その地名に僕は興味を持った。
「夕張、あんまり覚えていないけど、ここで生まれて、小さい時に見た風景を少し覚えているよ」
「それは炭鉱住宅ですか?木造の家がいっぱい立ち並で、、、」
「そうそう、うちは二階建ての建物で、確か外階段を登って、2階に暮らしていた。お父さんが僕をおぶっていたことを少し覚えているな。街に、大きな階段もあって、、、賑やかだったんだ」
うろ覚えだろうが、幼い頃の話を一生懸命思い出そうとしてくれた。
僕は夕張市にまだ炭鉱住宅が立ち並んでいた頃に何度も通っていたことがあった。街の中心に確かに大きな階段があった。
「銭湯があって、湯船の下に穴が空いていて、そこを潜って隣の湯船に行ったり来たりしたな」
「きっとすごく楽しかったから覚えているんじゃないですか?」
「きっとそうだね」と笑った。
父親は炭坑夫だったようだ。その後、コタンに引っ越したという。
コタン?その名前だけではわからないが、アイヌの言葉で『集落』を意味する。そして阿寒湖という地名も出てくるから、だいたいの場所が特定できたが、それ以上の記憶は前後した。
小学4年生の頃に足立区に引っ越してきた。逆算すると阿寒湖周辺の炭鉱が閉山になったのが1970年頃。閉山の7年ほど前に上京したことになる。
足立区新井、草加市、せんげん台を転々としている。働いた経験もあったようだが、病院暮らしがとにかく長いようだ。
「17歳くらいに初めて精神科に入院して、2〜3回の退院はあったけど、すぐに入院してね。トータルで40年くらい病院にいたんだよ。でも、そんなに嫌な感じはなかったね。普通は早く退院したいって言うんだろうけど、僕は、仕事もできないし、車にも乗れないしね。これでいいんだって思っていたよ」
16年前、やどかりの里と出会って暮らしが変わった。
「ここもいいですね」というと、「病院も悪くないよ」と笑った。
