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写真と言 葉04

池田恭子
「私ね、タバコを吸いながら、居酒屋でワイワイ盛り上がることがとても苦手で、図書館で静かに本を読んでいるタイプなのよ。大学生の時は、図書館司書になりたい夢を持っていました。でも病気が原因で、何もかもできなくなってしまったんですけどね」
神保町の交差点にあった岩波ホール。
大学生の時、映画をよく見に行ったという。きっと古本屋街に行き、喫茶店でコーヒーを啜りながら、本を読んでいたに違いない。
青森県八戸市出身。父親は材木関連の仕事で東京の木場に行ったり来たり。恭子さんも、暑い時は八戸、涼しくなったら東京という暮らしをしていたという。
大学では社会学部で環境学を学んだ。
「景気がいい時の東京の環境は悪かったね。本当に都市熱がすごいって思っていました。日本社会の襟を正したいと思って勉強していたんです。引きこもりがひどくなり、論文が提出できなくなって、結局、卒業はできませんでした。その頃から病気が始まったのかもしれません」
至って真面目な学生生活だったようだ。
「恋人は?」と尋ねると、「手話をやっていた人と少しだけ。でも自然消滅してしまって、、、」
幼い頃は、家族のみんな気が短くて、恭子さんだけのんびりしていたそうだ。父親には、ノロ!って呼ばれ、よく怒られていたという。
「今じゃ、虐待って言われそうですが、そんなことは日常茶飯事。どもり(吃音)だったから、学校でも家でも、言葉数が少なくなっていったんです。でも父親に感謝しているこ
とがあるんです」と、見せてくれたのは、昭和 40 年に卒園した保育園時代の絵だ。父親が大事にとっておいてくれたそうだ。
そこには、「おとなしい恭子さん。元気なお姉さんになってください」と、関口先生からのコメントが添えられていた。
「吃音だったから、喋ってなかったのね。私にも可愛い時代があったのよ」と、アルバムを差し出しながら笑った。
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