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写真と言葉03

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守屋 進

おっとりしたおとなしい印象の人だった。
昭和 42 年生まれ。
バブルの忙しい時期を経験してきた人だ。

地元の工業高校を卒業し、愛知県江南市にある大手の工作機械メーカーに就職した。
研修では、酒の飲み方を教えてくれた。男社会だった。会社が借り上げている6畳一間の風呂なし、共同トイレのアパートで暮らしていたが、関東出身もあってか、数年後、東京支店に転勤になった。

与野市(現・さいたま市)の実家から通える距離だ。
しかし自宅に帰れるような仕事ではなかった。出張修理、いわゆるクレーム対応の配属だった。

静岡県の富士川を境界線に、北海道までが、仕事だった。相手は機嫌が悪く、急いで修理しないと仕事に支障をきたす。工作機械は精密で、100 分の1とか1000分の1という精度を求められた。

静岡で 22 時に仕事を終え、今から長野市に移動してくれ!なんていう話はザラだった。
3ヶ月間、自宅に戻れないときもあったくらい働き続けた。

「日曜日、趣味の鮒釣りの準備をしていました。その日は特に体調が悪く、意識が朦朧とする中、ついに倒れました。過労だったのでしょう。
それが今に続いているというわけです。
精神科に入院したかったのですが、なぜか入院できず、やどかりの里とつながりました。
病院のドクターが、やどかりの理事だったんです。だから入院がなかったわけですね」と笑った。

今は、やどかりの里で印刷業務を担当している。僕の名刺をいつも特急で仕上げてくれる。

「なんとか今日中にできないですか?」
こうして、僕は、無理難題を守屋さんに押し付けていた。
でもちゃんといい仕事をしてくれる。守屋さんは断れない人なんだろうな〜






 
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